はじめに
補綴歯科治療のおける、印象体・石膏模型・補綴装置、これらは一度でも口腔内に挿入された時点で『感染リスクのある不潔物』として取り扱う必要があります。
それでも臨床現場では、「忙しさ」「精度への懸念」「設備の制限」などを理由に、消毒が徹底されていないケースがあるのも現実です。
本記事では、最新のガイドラインや文献をもとに、印象体・石膏模型の正しい消毒方法と現場の声を交えて、現実的な感染管理のあり方を考察します。
さらに併設技工所と技工所に外注する場合を比較して考えてみます。
ガイドラインに基づく「正しい洗浄・消毒方法」とは?

日本補綴歯科学会推奨の消毒方法
原文PDF(公式):👉 https://hotetsu.com/files/files_358.pdf
①洗浄の重要性と所要時間
⽇本⻭科補綴⻭科学会によると、アルジネート印象材は流水下で120秒、シリコン印象材は30秒の洗浄が必要とされています。
②印象体の消毒
補綴⻭科治療における印象体は、患者の体液で汚染されスタンダードプリコーションの対象となります。
印象採得後は⼗分に洗浄した後、
●0.1% 次亜塩素酸ナトリウム溶液に15〜30分間浸漬
● 2〜3.5% グルタラール溶液に30〜60分浸漬
といった消毒法が⽰されています。 (原本より抜粋)
③⽯膏模型の消毒
⽯膏模型は材料特性から消毒が困難なため、原則として 印象体での消毒を優先する。しかしモデル⾃体に汚染が認められる場合には、
・次亜塩素酸系消毒薬(1000ppm)に10分浸漬後 → 取り 出し → 密閉容器で 1時間放置
・アルコール系噴霧法
などが具体例として挙げられている。(原本より抜粋)
また、CDC 公式ガイドラインでも、
🔹 CDC の基本方針(原文)Materials, impressions, and intra-oral appliances should be cleaned and disinfected before being handled, adjusted, or sent to a dental laboratory.(印象材や⼝腔内装置は、取扱・調整・技⼯所へ送る前に、清掃および消毒を⾏うべきである。)(CDC Guidelines 2003より)https://www.cdc.gov/mmwr/pdf/rr/rr5217.pdf
以上の推奨⼿順を実践するには、マンパワー、時間、スペースの確保が必要です。この問題に対応するため、スプレー式や短時間浸漬型の除菌剤が登場しています。また、⼨法変化の影響を考えるなら、⽯膏注入までのステップは少ないほうがいいと思われます。精度に影響を及ぼさないことを実証済の製品もあり、実際に⻭科医院や⻭科技⼯所で使⽤されている薬剤の⼀例を挙げます。
アセプトプリントスプレー/リキッド

MD502インプレッション

クロルアンカー

アセプトプリント、MD520インプレッションについては⽯膏模型、バイトワックス、補綴物、義⻭にも使⽤可能です。それでも、「薬剤による⼨法変化」を懸念し消毒に消極的な⻭科医師も少なくありません。成果が⽬にみえにくく、「試す」ことが難しいことから消毒そのものを⾏っていない医院が存在するのも確かです。
④感染管理の「流れ」と「タイミング」を考える
補綴物が装着されるまでの流れ
形成→印象採得→⽯膏注入→技⼯所へ運搬→技⼯⼠による加⼯→⻭科医院に戻る →補綴物装着この中で⼀度でも感染対策が抜ければ補綴物に微⽣物が残存したまま患者の⼝腔へ戻ることになります。「医院で対策しなくても、技⼯所で何かしら感染対策するだろう。」という考え方では、感染管理は成り立ちません。
⑤消毒の際の注意事項
消毒剤選択のポイントとして以下が挙げられます。
・対象の印象材料に対応してるか。素材への影響。
・消毒効果と安全性のバランス
・⼨法精度の維持
・消毒時間と操作性

現場での落とし穴
印象材料だけでなく、印象⽤トレーの材質との相性、金属トレーの劣化、プラスチックコーティングの剥げ、錆などに注意します。浸漬時間の超過に注意することや、どの印象体をいつ浸漬したのかを把握する必要があります。そのためにタイマーなどを上⼿く活⽤する、水切りできるハイゴボックスを使う、タイマーが鳴った時誰が何をするかスタッフ間で共有しておく。など、⼯夫や仕組みも必要です。
なぜ印象体・補綴装置の感染対策は必要なのか?
⼝腔内の微⽣物が技⼯物に与えるリスク
印象体や⽯膏模型には、患者の⾎液や唾液が付着するため、微⽣物の温床となり得ます。CDCの報告では 、⽯膏模型内でも微⽣物は最長で 7⽇間⽣存することが確認されています。消毒を⾏わないことで、交差感染のリスクが高まりま す。
技⼯物を扱うスタッフ、設備の⼆次汚染、不潔な模型を使ってホワイトニングトレーやマウスピースを作製すると、切削器具や作業スペースも汚染されます。感染源が作業環境に広がると、他の患者やスタッフへの影響も避けられません。

消毒を怠ると起こるリスクと連鎖
スタッフ、器材への波及感染
不潔な印象体から模型、トリマー、シンク、切削器具へと汚染が広がり、更なる交差感染を引き起こします。作業後に使⽤するホワイトニングトレーやTec、マウスピースも不潔な状態で保管されることになります。
患者への信頼と診療精度の低下
不適切な感染対策はスタッフを危険にさらすだけでなく、補綴物の精度に悪影響を与え、患者の信頼を損なうことにつながります。
⻭科医院と技⼯所の「連携とズレ」
院内技⼯所のメリットと現実
⻭科医院に技⼯所が併設されている場合、不潔・清潔のゾーンを明確に区別しやすく、感染対策の共通認識を持つことができるため、連携がとりやすいのが特徴です。
独立技⼯所が感じるリスク
提携している⻭科医院から独立した技⼯所に集まる⽯膏模型は、印象体に⾎液が付着しているケースも珍しくありません。多くの⻭科技⼯⼠は印象体や⽯膏模型は「各⻭科医院で、洗浄、消毒済みである前提」で作業していますが、 実際には処理されていない場合もあるため、交差感染のリスクが高まります。
⻭科技⼯所からのリアルな声

印象体・⽯膏模型の消毒 Q&A
Q1. ⾒た⽬がきれいな印象体でも、消毒は必要ですか?
A.⾒た⽬では感染リスクは判断できません。印象体や⽯膏模型は、外⾒上きれいでも唾液や⾎液、微⽣物が付着している可能性があります。そのため全ての印象体・模型は「感染性物質」として扱うことが基本です。「患者ごとに例外を作らない」ことが、感染管理を仕組みとして成立させるポイントです。
Q2. 印象体は 「洗浄だけ 」では 不⼗分ですか?
A.洗浄は必須ですが、消毒の代わりにはなりません。流水洗浄は有機物を除去する重要な⼯程ですが、微⽣物を不活化する⼯程(=消毒)とは別物です。洗浄 → 消毒→乾燥という順番を守ることが⼤切です。
Q3. アルジネート印象は浸漬消毒してはいけませんか?
A.⼿順や薬品を正しく使⽤すれば浸漬消毒できます。アルジネートは吸水・脱水による⼨法変化が起こりやすいため、消毒薬の種類、濃度、浸漬時間をメーカー指⽰どおり厳守する必要があります。施設によっては短時間の噴霧消毒を選択することで、精度と感染対策の両立を図っています。
Q4. 消毒薬は 「強いもの」を選べば安心ですか?
強ければ良い、という考え方は危険です。消毒効果が強すぎる薬剤は、印象材の表⾯変性、⼨法精度の低下、⽯膏模型の表⾯粗造化を引き起こすことがあります。「必要⼗分な消毒効果」と「材料への影響」のバランスが、消毒薬選択のポイントです。
Q5. 技⼯所に出す前に消毒していれば技⼯所側の消毒は不要ですか?
双方での消毒が前提です。印象体・模型は、輸送中、開封時、保管中にも再汚染の可能性があります。そのため、⻭科医院と技⼯所の双方で消毒を⾏う「⼆重管理」が感染管理の基本です。消毒済み表⽰(ラベル・伝票記載)も有効です。
Q6. ⽯膏模型を 次亜塩素酸ナトリウムに浸けても⼤丈夫?
A.基本的には推奨されません。次亜塩素酸ナトリウムは、⽯膏の表⾯を脆弱化、強度低下、表⾯荒れを起こす可能性があります。⽯膏模型には、噴霧消毒や専⽤消毒薬など、材料特性に配慮した方法が望まれます。
Q7. 忙しいとき、消毒⼯程を省略しても問題ありませんか?
A.忙しいときほど、省略しない仕組みが必要です。感染管理は「頑張る」ものではなく、誰がやっても同じようにできる「仕組み」で支えるものです。消毒薬を固定する、方法を統⼀する、タイマーやチェック表を使うことで、忙しさによるムラや抜けを防げます。
Q8. 印象体を消毒すると、精度が落ちませんか?
A.適切な方法を守れば、⼤きな影響は避けられます。⼨法精度の安定を⽰す薬剤もあります。問題になるのは、不適切な薬剤、長すぎる消毒時間、浸漬方法の誤りです。正しい方法で⾏えば、精度低下よりも感染リスク低減のメリットが上回ります。
印象体消毒チェック表の活⽤
チェック表の例を提案します。このチェック表は、「ちゃんとやっているか確認する表」ではなく、「考えなくても 正解にたどり着く表」を⽬的とします。つまり、判断を減らす、例外をつくらない、忙しい時ほど助けになる表であってほしいと思います。使う薬剤によってアレンジして使⽤してみてください。

まとめ
感染管理は“努力”ではなく、“仕組み”で支える
日々の業務に追われる中で、印象体の消毒に限らず、感染管理が負担に感じられることは決して珍しくありません。
でも、忙しさや時間の制約を理由に感染管理をおろそかにすることは、医療従事者としてのタイムマネジメント能力、そして専門職としての矜持が問われる行為だと考えています。だからこそ、「やらなければならない感染管理」ではなく、忙しい現場でも自然と実践できる「できる仕組みづくり」も重要だと考えています。
必要なのは、「やらなければ」と自分を追い込むことではなく、忙しい現場でも迷わず実践できる環境や仕組みを整えることです。印象体や石膏模型、補綴装置は、外見上では清潔か不潔かを判断することができません。だからこそ、これらはすべて「感染性物質」として扱う姿勢が求められます。寸法変化への懸念を理由に消毒を省略してしまえば、知らないうちに感染を拡大させてしまうリスクがあります。適切な消毒法を選択し、安全と精度の良い補綴物の両立を目指しましょう。

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